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三笠市の低山と炭鉱遺構群 その1 幌内(三等三角点)と幌内炭鉱 2017.3.11

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山頂付近から眺める三笠山・美唄山方面。
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中腹から見える幌内炭鉱のズリ山と樺戸山地
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3月11日・12日は三笠市の低山へ。
恒例の炭鉱遺構に低山を組み合わせて遊ぶマニアなお山歩。

三笠市は炭鉱開発に伴う道内初の物件が多い。それらの遺構・史跡を
地質・化石に含めてジオパークとして観光資源活用に力を入れているが、
最近では高校生のレストランが最も有名かもしれないw
市内の炭鉱遺構群は、北海道の炭鉱遺構・廃墟好きにとっては聖地で
かつ最大のテーマパーク。しかし炭鉱やその歴史に興味を持つ人は
多くはない。今更でしかもおこがましいが一端を紹介します。
尚、二日連続で訪れたものの低山歩きを組み合わせているため、
しっかり回るのは不可能だった。記事には2019年に再撮・追加撮影
した写真が含まれます。

3月11日の初日は幌内(ほろない)炭鉱跡(幌内本沢町)をめぐり、
三等三角点「幌内(ほろない)」へ。三等点「幌内」は幌内炭鉱の
南に位置する無名の小山 309.72m に設置され、ズリ山を間近に俯瞰
できるかもと訪れた。
写真は市内の達布山展望台から見るズリ山と三等点「幌内」。
右手中景の大きくなだらかな山に三等点「幌内」が設置されている。







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やや左手には旧ズリ山(初期のズリ山)があったが、再利用されたのか
その姿を見ることができない。右手遠景は夕張岳と前岳。
この谷地に幌内炭鉱(幌内本沢町)の坑口と選炭場があったが、事業所と
地下の坑道の規模はここだけではなく、広く大きい。

幌内炭鉱は1879年(明治12年)に開かれた道内初の大規模近代炭鉱で、
その開発は北海道開拓使によって進められた国家プロジェクトだった。
当時石炭は工業、流通(船舶・鉄道)等の最大のエネルギー源。
幌内炭鉱の石炭を小樽から本州へ輸送すべく日本で三番目の鉄道となる
官営幌内鉄道が明治15年に全通し、北海道の開拓と日本の近代化に
貢献している。明治22年には炭鉱、鉄道ともに北炭へ払い下げられている。

幌内炭鉱の坑道は採掘が進むにつれて深く広大になっていき、事業所は
三地区から構成されるようになっていく。幌内本沢町の音羽坑を皮切りに、
順に幌内本沢町の養老坑、幌内奔幌内町の布引坑、幌内本沢町の常盤坑が
開削される。唐松地区にあった新幌内炭鉱と合併した後には同じく
唐松地区に幌内炭鉱立坑が開削される。坑道はすべて地下でつながり
最終的には入気(人員の昇降、資材の搬入出)は幌内炭鉱立坑、
揚炭は常盤坑へと集約されている。
ちなみに坑名は滝の名前から付けているそう。他には那智坑、霧降坑、
白糸坑があった。
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まずは三笠駅(幌内太駅)跡へ。かつての駅舎「幌内太駅」の趣が
再現されている。2019年撮影。一昨年も撮影したが、外壁の塗装や
補修をしたのか綺麗になっていた。駅名板も新しくなったようだ。
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三笠鉄道村クロフォード公園として整備されていて、幌内駅跡の
三笠鉄道記念館も含めて鉄道ファンならば満足できる施設だろう。
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右手の幌内駅方面へ入っていく線路跡のカーブ。
奥が幾春別駅(郁春別駅)方面で明治21年に幌内太 - 郁春別間が開業している。
転車台が設置されるまではデルタ線(三角線)で、当時の幌内太停車場の様子
(明治16年頃)が写真に残っている。
デルタ線での運行は、時刻表から推測されるらしい。まず岩見沢から
幌内太停車場へ入った車両は、客扱い後に一旦バックして転轍後に幌内
方面へ入る。幌内停車場で客扱い後にここまでバックで戻った車両は、
郁春別方面へ入って転向。そして幌内太停車場で客扱い後に岩見沢方面へ
戻っていたらしい。
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反対側の岩見沢方面への線路跡。樹木が生い茂っていた。
JR幌内線(岩見沢 - 幌内・幾春別)は幌内炭鉱閉山(1989年)に先立つ
1987年に廃止されている。
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幌内駅跡へ向かうと正面に幌内炭鉱のズリ山が見えてきた。
すぐ右手を走っていた幌内線跡には、まだレールが残されていて
鉄道記念館までトロッコに乗れるらしい。
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幌内駅跡の三笠鉄道記念館に到着。屋外の展示車両はまだ冬じまい状態で、
鉄道記念館内の営業も4月から。かつての駅舎は黄色い特殊車両の手前の
自分が撮影している所あたりにあったと思われる。明治の初期に、
ここから小樽手宮桟橋まで石炭が運ばれていたのかと思うと感慨深い。
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ここから奥の選炭場へ専用線が延びていた。
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駐車場には幌内線とは関係ないが炭鉱車両が置いてあって興味深い。
黒い2台が太平洋炭礦坑外用8t電気機関車で、手前のブルーシートが
被せられた緑は住友赤平炭鉱坑内用6t蓄電池機関車HX-6らしい。
「追憶の鉄路」(著 工藤裕之)では「住友赤平炭鉱敷地内には資材搬出入
を行う坑外軌道(通称バテロコ)があり、ほっかむりのおばさんが鐘の付いた
バテロコを運転していた」とあるが、そのバテロコと同じ車両だろうか?
ここで会えるとは奇遇だ。
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ちなみにこちらの6t蓄電池機関車は三笠市立博物館に展示されている。
住友奔別炭鉱で使用された物だろうか。
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鉄道記念館から奥へ進んで行くと除雪されていて、早くも右手には選炭場の
遺構が見えていた。雪壁へ上がったりして撮影しながら進んでいく。
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シックナーや貯水槽だろうか
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車は旧ズリ山方面への分岐点まで入ることができた。
左手が旧ズリ山方面。ここから徒歩で直進して行く。
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来た方向を振り返る。左手に並ぶ遺構。
奥の斜面には炭住が建ち並んでいたのだろう。
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駐車地点からすぐ先に説明板があった。
遺構を見ていこう。
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積み込みポケット台座。
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台座の横にシックナー。シックナーは近くに寄ると分かるが
結構大きい。
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奥にも選炭場の遺構が建ち並ぶ。
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見えないが向かいの山の上の奥にズリ山があり、ズリ捨て線跡が見える。
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ズリ捨て線跡とズリポケット。ここには輸車路が設置されていたそう。
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本沢川に架かる橋が見えて、先には雪に埋もれた階段がある。
遺構を巡る道が整備されて、橋と階段が設置されたようだ。
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右手前は微粉乾燥室だろうか。
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奥の砦のような構造物は常磐坑の巻揚機台座で、300馬力巻揚機が
載っていたようだ。右の長方形の建物は重選機基礎でローヘッドスクリーン
があったようだ。巻揚機の左は0号ベルト原動室。手前中景は雪に埋もれた
原炭ポケット。
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重選機基礎内部。どんな機械があったのだろう。
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左に写真では切れているが0号ベルト原動室。
手前右に原炭ポケット。
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原炭ポケットは壁が破損して内部が見える。
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常磐坑の二つの坑口と坑口神社の鳥居。
0号ベルト原動室横の階段が見えている。
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林道を進んで左手の沢地形にトンネルが見えてきた。
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トンネルは北東へ向かっている。
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題額には「道隧引布」と洒落た字体の表示がある。
ここから人車がこの布引隧道を通り、北東の山奥にある布引坑へ
坑員輸送していた。
布引坑は大正6年開坑し大正13年?入排気立坑櫓完成。
昭和27年に常盤坑のベルト斜坑改修とともに布引隧道が竣工し、
入坑は布引坑立坑、揚炭は常盤坑と集約された。
昭和42年に幌内炭鉱立坑が完成すると、入坑口の役割は終わり
坑内ガスの排気を担う。昭和50年のガス爆発事故では重要な
役割を果たした。
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右手奥に人車プラットホームがあり、手前左手の隧道へ入っていた。
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ホーム跡だろうか。
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更に進んで左手には事務所や工作場の建物が並んでいたようだ。
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右手には説明板があり
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遺構を巡る道がここから始まるようだ。
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奥の沢の近くに黄色い説明板が見える。
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説明板には「15トン起重機」と手書きの文字とイラスト。
ここにクレーンがあったのだろうか。雪で分からなかったが
クレーンの台座跡があるそう。
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近くには、フックがついた電信柱があった。電燈でも付いていたのだろうか。
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林道を進んで、最も新しいズリ山と安全灯庫が見えてくる。
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本沢川を渡ると右手へ道が分岐。奥に幌内炭鉱変電所の建物。
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右手の道へ入って音羽坑へ向かう。
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沢沿いを進んでレンガ造りの安全灯庫へ。
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長方形の建物だったようだが、真ん中が崩れ落ちている。
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説明板もあり。
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ちなみにこちらがウルフ燈。
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エジソン安全燈。
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ずらりと並んだ安全燈 by 三笠博物館。
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左手に入り音羽坑へ。
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コンクリートブロックで密閉された(下部に排水口あり)
坑口が見えてきた。
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傍らに説明板。
道内初の官営炭鉱として開削された大坑道(後に音羽坑)は明治12年に
地質や炭層の調査を目的に開削着手。北海道最古の本格坑内掘りだった
(道内最初の炭山開坑は安政3年の釧路炭田白糠炭山 三笠博物館展示年表
他の文献では安政4年とも)。優良炭を多く産出したが岩盤が固く採炭に苦労し、
明治29年に養老坑が開削されて以降は排水坑へと転換された。平成元年の
閉山とともに密閉されている。当初の石炭運搬は人力か馬車による馬匹運搬が
主だったが、その後機械化が進んでいく。音羽坑の坑口?から出てくる馬の写真が
残っている。
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右手奥には火薬庫の沢と最後のズリ山(最も新しいズリ山)。
本沢川沿いを進み、北側の常磐坑へ向かう。
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二つの斜坑坑口と坑口神社の鳥居が見えてきた。
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美しいラッパ型坑口で、アーチ上部に設置される立派な扁額は脱落して
立て掛けられていた。
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中央に鳥居。
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説明板。常磐坑の開坑は昭和13年で比較的新しい(昭和16年出炭開始)。
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左の坑口密閉ブロックには「ベルト一斜坑本卸(べるといちしゃこうほんおろし)」、
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向かって右は「ベルト一斜坑副卸」と書かれてある。斜坑は折り返して
ベルト二斜坑本卸・副卸へと深部へ続いている。ベルト斜坑とはベルトコンベアー
による運炭を行う斜坑。説明板は左右間違っているかな? 
炭鉱は入気坑と排気坑が作られるが、斜坑では本卸・副卸と呼ばれる。
開坑当初は片方が入坑・資材運搬、もう片方が石炭搬出に使用されていたのだろう。
常磐坑は選炭場に直結していたため、昭和27年にベルト斜坑へ改修するとともに
布引坑と養老坑の連絡坑も完成し、各坑の揚炭へと集約されていく。昭和42年に
幌内炭鉱立坑が開削され、入坑は幌内炭鉱立坑、揚炭は常盤坑へと運炭機能の
合理化が成された。
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巻揚機の説明板。
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すぐ横を本沢川が流れスペースが無いためか、
崖に張り出すように台座基礎が作られている。
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下から見上げる。結構ボロボロで台座には絶対に上がらないように。
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先には原炭ポケットが見える。
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奥にあるズリ捨て線跡とズリポケットへ。
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ズリポケットから輸車路跡を見る。
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説明板。
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対岸の駐車地点と旧ズリ山方面。幌内炭鉱の初期はあちら側へ
ズリを積んでいた。
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往路を戻り幌内炭鉱変電所へ。
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横には幌内神社へ向かう階段があって、上方に鳥居が見える。
幌内神社の説明板は階段の所にあるようだが、雪に埋もれていたのか見かけなかった。
幌内神社は明治13年に音羽坑の上部に建立し、明治35年に本殿、拝殿などが新築される。
2008年に長年の雪害等で拝殿が崩壊し、その後碑が設置されている。狛犬、灯籠、鳥居
のみが残っているそう。明治15年に榎本武揚が来訪時に揮毫した「幌内神社」の
社号碑が残り、三笠市文化財に登録されている。
Web上で見られる説明板には「5月の例祭には空知集治監の囚人も仕事を休み、
近くの村からも大勢の人たちが集まって相撲や芝居などに賑やかだった」とある。
明治31年5月の例祭時の写真が残っているが、同じ場所と思えないような
状況となっている。
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変電所の説明板。
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昔の発電所や変電所はレンガ造りのお洒落な物件が多い。
大正時代に建てられた変電所は、コンクリート造りで外はレンガ張りのの建物。
遺構が有名な夕張清水沢火力発電所から送られた電気を変電して、周辺の
炭鉱施設へ供給していた。内部には変圧器や配電盤(昭和30~40年代東芝製)、
事務所の一部を今も残し、二階への階段は鋳物製だそう。
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変電所を右手に見ながら林道を少し進んでいくと、
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右手に養老坑ボイラー煙突の基礎。
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造形やレンガの劣化が趣深い。この辺りに養老坑立坑があったのだろう。
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道は沢の右岸へ入り、緩く登って行く。左手上には東屋が見える。
何の東屋だろうか。
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対岸には坑口らしき遺構が見える。
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コンタ150mで左岸へ渡る徒歩道の所へ。
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広く土場のようになっていて、ここにも坑口らしき遺構があった。
地形図どおりUターンするように右手へ(北へ)道が続くが、
ここから左手へ(南へ)入り、
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伐採された植林地の斜面へ入っていく。
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作業道から三等点「幌内」309.72mの北東尾根へ上がってしまう。
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左手は伐採斜面になっているが、尾根上は視界が良くない。
 
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しかし一ヶ所だけ幌内炭鉱のズリ山が見える所があった。
下山時にじっくり撮影することにして、先へ進む。
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ちょっと進んで古い送電線の鉄塔があった。電線はまだ一本だけ
付いていて、対岸(東側)の尾根の鉄塔へ繋がって南へ続いていた。
先程の幌内変電所と夕張の発電所を結んだ送電線だと思われる。
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少し登って地形図どおり破線の徒歩道が横切る。
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更に尾根上を登って行くと三角点ピーク方面が見えてきた。
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尾根上は鹿の足跡が多く、食害が見られる。
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奥に三角点ピーク。
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何やら穴らしき物が見える。
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山頂にはやや深い穴があり、足跡がいっぱいで鹿が頻繁に入っているようだ。
点の記には陥没地と記載されている。
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三角点は穴の縁にあるようだ。
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穴から登って来た方向を見る。
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三角点から少し東側へ向かうと三笠山593.6m など北東の眺めが良い。
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やや左手に三笠山。中央は露天坑。やや右手ずっと奥に美唄山。
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更に右手に境山と奔別岳が見える。他の方角は眺めが悪く、
ズリ山を見下ろせなくて残念。
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往路を下山して先程のズリ山が見えるポイントへ。
中央から左手に巨大なズリ山。奥に樺戸山地。右手前の三角錐が一番新しいズリ山。
ズリ山の麓には複数の美しい堰き止め沼があるようだ。

翌日は幾春別炭鉱・奔別炭鉱などの遺構をめぐり三笠山(観音山)と達布山へ。




by tafu-r | 2017-03-15 20:32 | 空知 | Comments(0)
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