北炭赤間炭鉱のズリ山へ。 住友赤平炭鉱のズリ山から神威岳。右手奥はピンネシリなどの樺戸山地。 赤平山への登りからイルムケップ山塊を振り返る。 ズリ山は、観光スポットとして階段・フットパス等が整備されていない限り 基本的に立ち入り禁止と思われます。住友赤平炭鉱のズリ山は、 自己責任において稜線を通過する形で立ち入っています。 3月27日は赤平市の赤平山へ。 以前から赤平の里山である赤平山に登って町を俯瞰してみたいという思いがあった。 というのも身内ネタで恐縮だが、赤平市は父の出身地であり炭鉱の歴史を含めて 以前から興味があったのだ。しかし生前に赤平について話を聞いた事が無く、 何処に住んでいたかも知らない。
かつて炭鉱で栄えた赤平には三つの大きなズリ山があって、そのうち二つが赤平山の北尾根に 積み上げられた格好になっている。赤平山にはスキー場があるがゲレンデを登っても面白くないので、 北尾根から二つのズリ山を巡ってみる事にした。ルートは北尾根末端の赤平公園から取り付き、 スキー場脇の樹林帯を下山。帰路は赤平フットパスの一部となっている道道を赤平公園まで徒歩で戻ってきた。 因みに赤平山スキー場はしばらく前から閉鎖中で、立ち入り禁止となっているらしい。 写真はエルム高原から見た赤平山。手前に住友赤平炭鉱の巨大なズリ山と階段のある北炭赤間炭鉱のズリ山。 背後は辺毛山と美唄山。 こちらは二つ並んだ昭和電工豊里炭鉱のズリ山。背後は上砂川町の御料山と歌志内市の神威岳。 写真は超絶悪いが、イルムケップ山から見た赤平方面。 赤平山スキー場と右に二つのズリ山。背後は右に神威岳と左手は歌志内の大炭鉱地帯。 赤平公園の駐車場は除雪されていて、右手に見える尾根に取り付く。 駐車場からは豊里炭鉱のズリ山が間近に見える。 池の南側から尾根へ。池に流れ込む右手の沢は末広ノ沢。尾根の手前に林道がある。 公園の池からはイルムケップ山の頭が見える。 尾根手前の林道。奥にはかつて北炭赤間炭鉱末広坑があって、赤平駅裏の選炭場まで輪車路(ゆしゃろ)が この林道上に敷設されていたと思われる。輪車路とは上屋がある坑外電車軌道のことらしい。 尾根に上がると樹林の奥に北炭赤間炭鉱のズリ山が見えてきて、 少し歩いてズリ山に突き当たる。 階段のある斜面に向かって急斜面を登って行くと、どんどん展望が開けてくる。 豊里炭鉱のズリ山と暑寒別岳。 階段斜面から赤平駅とイルムケップ山。線路と道道の間の側線があった所は広い。ズリ山麓には 選炭場と積み込み線があった。今は原炭ポケットの一部が残されているだけである。 ズリ山頂上。奥に神威岳がちらちらと。 芦別市方面。手前に住友赤平炭鉱立坑櫓。十勝岳連峰は霞んではっきり見えない。 滝川市方面。蛇行する空知川と奥にポロシリ山がちらっと。 右奥に巨大な住友赤平炭鉱のズリ山。手前のピークには四等三角点「住友山」208.4m が設置されている。 左下へ作業道を降りていく。 降りて行く途中で、隣にあるズリ山の小ピーク。 コルから少し登って四等三角点「住友山」に近づく。 一番高い所から少し奥に三角点標示杭があった。奥には住友赤平炭鉱のズリ斜面が見えている。 ズリ斜面が間近に。 緩やかなズリ斜面が尾根を跨いでいる。 まばらに植林されたズリ山頂上部。 平坦なズリ斜面を降りて行って、ちょっとだけ寄り道。 立坑櫓とズリ捨て線跡を見下ろす。左手奥に三又山。 アパートが建ち並ぶ団地にはかつて住友炭住の木造長屋がひしめいていた。 北炭赤間炭鉱のズリ山と歩いてきた尾根。 芦別市方面を見ると、十勝岳連峰が見えてきた。 イルムケップ山方面。 市街を拡大。分かりづらいが空知川に向かって伸びる道の先にかつて赤間橋があった。 対岸にあった北炭赤間炭鉱本坑から赤平駅裏の選炭場まで輪車路を敷設するために、 昭和16年に赤間橋が架けられた。それ以前は索道が空知川を跨いでいたらしい。 閉山後は放置されて平成11年に解体されている。 赤ラインが輪車路。水色ラインは住友赤平炭鉱へ入る引き込み線跡。 ズリ山山頂部は植林されているが、まだ禿山状態に近く眺めは非常に良い。 暑寒別岳などの増毛山地。 樺戸山地。 北炭赤間炭鉱ズリ山の裏側。 ズリ山から更に尾根を進み、スキー場の北側ゲレンデ頂上部・319が見えてくる。 左手奥に赤平山山頂部。 尾根右手を振り返ると住友赤平炭鉱ズリ山の裏側が見える。 リフトと空知川。 ゲレンデを俯瞰。北炭赤間炭鉱本坑の坑口は、ちょうど真正面の空知川対岸にあったらしい。 ここから輪車路が駅裏の選炭場まで敷設されていた。やや右手には現在採掘中の空知新炭鉱の 赤間新露天坑が見えている。空知川蛇行部分の最初のコーナー辺りに、松浦武四郎が発見したと 云われる石炭露頭「空知川露頭炭」が見られる。 山頂の南側ゲレンデリフトへ緩く登っていく。スキー場は立ち入り禁止なので 一応ゲレンデ横の樹林を進む。 リフトの奥に赤平山山頂。ゲレンデ側は眺めが良いが、歌志内市側は樹林に遮られて見えなかった。 設置される三等三角点の点名は「上赤平(かみあかひら)」。大正11年に歌志内村から 分村される前の赤平は上赤平と呼ばれていた。また赤平駅の改称前の旧名は上赤平駅だった。 赤平の由来は aka-pira(山稜ー崖)「山稜の際にある崖」ともいわれ、明治時代の古い地形図には 今の滝川公園(砂川市空知太、管理は滝川市)のあたりに「アカピラ」の文字がある。まだ沼は無く 空知川が蛇行し崖が描かれている。その後、現在の砂川市富平から赤平市字赤平までの空知川左岸一帯を 「赤掌」と言うようになり地域的な呼称となる。そして明治23年に上赤平(現在の赤平市字赤平)、 中赤平(赤平市字住吉)、下赤平(砂川市富平)と名付けられている。 明治31年の空知川洪水の際に蛇行部分にできた河跡湖は、赤平沼と言われた。 山頂のリフト。 空知平野とポロシリ山遠望。 住友赤平炭鉱立坑櫓を望遠で。 ゲレンデを俯瞰。下山はゲレンデ横の樹林帯を降りていく。 途中でかなりの急斜面となり、たまらずゲレンデに逃げるが40度前後?の北東向きの斜面で まだ硬くて怖かった。大きな起伏や片斜面となかなかテクニカルなコース。 どんどん降りてジャンプ台「赤平山シャンツェ」が見えてくる。 麓には研修センターとSLの展示。研修センター横には宿泊施設の「憩いの家」があったが スキー場閉鎖後に焼失している。 つる植物の支柱状態に。 40m級のシャンツェは結構大きかった。 アプローチ。案内図には25m級もあるようだが手前のすぐ横にあったのだろうか? よく分からなかった。 カンテ。 螺旋階段がついたジャッジタワー。 少し下って小屋が見えてきて、 回り込むとTバーリフトでしょうか。 案内図にはロープトウと書かれてあるようだ。 横のちびっこゲレンデは若木に覆われていた。 車道ヘアピンの横を下りる。 展示SLは国鉄D51形566号機。放置状態で表面は荒れている。 炭鉱の引込み線などで活躍したのでしょうか。お疲れ様です。 スキー場を出て、道道227号の「こもれび通」を赤平公園まで戻る。 秋は街路樹の紅葉が非常にきれいな通りで、赤平フットパスの一部となっている。 少し歩いて住友赤平炭鉱立坑櫓と 左手に歩いてきたズリ山。 立坑櫓前に立つ説明板。住友奔別炭鉱立坑櫓に次ぐ規模だろうか。 72人乗りの4段ケージが地下650mまでとは凄過ぎて怖い。 施設内は立ち入り禁止で定期的に見学会が開かれている。立坑櫓内部の写真はWeb上で 多数見ることができるが、鳥肌が立つほどの素晴らしさ。(誤用ですが実際鳥肌が立ちますw 自分は) ぜひ見学したいものだ。 坑口浴場。道道を挟んだ立坑櫓の向かい側にあり、地下通路でつながってるそう。 この界隈は沢山の炭鉱マンや関係者が出入りしていたのだろう。当時の活気や熱気を想像する。 立坑櫓を振り返って。引込み線はこのあたりを斜めに走っていたと思われる。 ちょっと進んで引込み線の橋が残っていた。北炭赤間炭鉱本坑からの輪車路は、向こうから空知川の赤間橋を渡り 今も国道にある開礦橋の下を潜り根室本線や住友赤平炭鉱引込み線とこのあたりで交差していたのだろう。 すぐに階段のある北炭赤間炭鉱のズリ山が見えてくる。大小と並んでいる。 ズリ山麓の選炭場跡。原炭ポケットが見える。道路のちょうど横を引き込み線が走り積み込みホッパーがあった。 北炭赤間炭鉱本坑と末広坑の輪車路はそれぞれ原炭ポケットの右手と左手に入っていたと思われる。 選炭場跡奥の赤平公園に戻って終了。最後は豊里記念の丘公園へ。公園内のすべり台とズリ山。 昭和電工豊里ズリ山の麓には坑口と選炭場があったが、現在は豊里工業団地と公園になっている。 炭鉱マンのヘルメットとヘッデンをモチーフにしたすべり台があった。 新しいカントリーサインに集約されている素晴らしい炭鉱遺産とちょっと残念な駅舎。 赤平は見所が多いと感じた。 参考文献 赤平市史 上巻・下巻 編集:赤平市史編纂委員会/発行:赤平市 2001年1月 1日
by tafu-r
| 2016-03-27 20:20
| 空知
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