ホロピリ湖の向こうにポロシリ山と沖内山。 三角点ピークの手前で東側の展望が開ける。 鷹泊坊主山がどーんと。 細尾根をたどり三角点へ。 そして遺構へ。 4月26日は雨竜郡沼田町の無名の低山498.28mへ。 ホロピリ湖(沼田ダム湖)の東側に位置し、山頂には二等点「東太刀別」がある。 以前Oginoさんが登られていて、自分も行ってみたいと思っていた。 かつてこの地域には炭鉱があった。留萌炭田にあった炭鉱は比較的短命に終わり、 その内の一つ浅野雨竜炭鉱街はホロピリ湖に沈んでいる。 石炭を運び出した留萠鉄道には、幌新太刀別川と右大股川の合流部に太刀別駅、 南側の浅野地区には新雨竜駅(旧称浅野炭山駅)があって、駅の北側に選炭場があった。 今も道道から湖畔にその遺構を見ることができる。 また留萠鉄道で使用されていた小型SL「クラウス15号」はほろしん温泉で展示されている。 写真は達布山(小平町)から見る二等点「東太刀別」。 左手に鷹泊坊主山。 ルートはOginoさんと同じく紅葉橋から東へ西尾根をたどったが、地形が複雑で面白かった。 紅葉橋から分岐する林道にスペースがあり駐車。橋の北側のカーブ手前から 四等点「浅野」206.7mに向かって取り付く。 南向きの斜面にはもう雪が無く、 右手の沢形に回り込んで登りきると平坦な尾根となり、四等点「浅野」があると思われる。 尾根は北に向かうと東へ曲がり、開けた所でピークが見えるが 山頂はずっと向こうで見えていない。後は尾根伝いに登るだけだが 起伏が複雑で、どう行けば効率的なのかと地形図との睨めっこが続き楽しい。 かなり雪が少なくなった斜面を登り・267へ。地形図どおり「土がけ」が現れる。 この土がけは道路の法面の様な感じで、実際作業道らしき溝が麓に向かって続いていた。 傍らには箱状の遺構があり、横には潰れた階段がついている。 最初はこんな山奥にポツンと何だろうと思ったが、後日調べて分かったのだが、 やはり道があって遺構は炭鉱関連の建造物と思われる。昭和42年測量の地形図を見ると、 選炭場からこの場所まで特殊鉄道の記号が描かれ、後は徒歩道の記号が雨竜炭鉱まで続いている。 国土地理院の空中写真を見ると・267の南斜面は植物が無くズリ捨て線のようにも見える。 北側には「双辰抗」という坑道が並走していたようだ。雨竜炭鉱は二等点「東太刀別」の南東側の山奥にあり、 そこから石炭を浅野地区まで運んでいたらしい。 因みに太刀別炭鉱は昭和炭鉱よりさらに山奥の佐々木沢の源頭辺りにあったらしく、 太刀別駅から索道が設置されていたというのは恐れ入る。 ・267の先にはコンタ300mと310mのポコがあり、間をすり抜けるようにかわすと効率が良いが ここにも道らしき跡があった。写真は手前300mポコで、右手に巻いて行く。 雨竜炭鉱への道は右手に(青矢印)入っていくようだがよく分からない。この徒歩道は 昭和42年測量の地形図では西尾根南面をトラバースし、山頂南側の・446を経由して 雨竜炭鉱へ入っている。 緩く上がると、北西の・402ピークから続く稜線が目の前に。 まっすぐ登って稜線へ。 コンタ400の手前で少し左手に進むと視界が開け、ポロシリ山やホロピリ湖を一望できる。 湖の向こうに増毛山地が見えるはずだが、ひどく霞んで残念。 北側の眺め。中央遠くに大天狗岳が見えているようだ。 少し進んでぱっと視界が開けると、右手にやっと山頂が見える。 真ん中の尾根を進むが、 右手に入ると展望台のような410mポコがあり山頂部を一望。もう雪が付いてなくて藪を覚悟。 雪が少ない細尾根は南北の展望が良い。 霞んだ空知平野北部。右手に玄武岩がちらっと見えている。 北側は左手に達布山と右手は知布志内山。道道の峠付近に黒石山。 達布山の手前には吉住炭鉱の露天掘り鉱山が見えている。 細尾根の先、460mコルでは雪の無い急斜面が立ちはだかる。 コルから東側に出ると東面には雪が残こり、どーんと現れる鷹泊坊主山の姿に 思わず声が上がる。 雪庇の細尾根をたどるが藪は薄い。山頂では標石が出ていた。樹木で眺めはすっきりしないが、 ちらちらとポロシリ山も見える。西にポロシリ山、東に鷹泊坊主山と贅沢な眺め。 山頂から・360に向かって東北東に延びる尾根に下りてみる。 振り返って山頂東面。 ここからは眺めがすっきり。 霞んだ三頭山の頭が見える。Oginoさんが冬に右大股川沿いの林道から鷹泊坊主山へ 日帰り往復されているが、かなりの距離に見える。なんという体力。 平たい奴布の山。正面が四等点「奴布峰」、右手に二等点「奴布山」がぎりぎり見える。 右下にはダムの様な地形が見えている。当初はずいぶん人工的で不思議な地形だなと 思っていたが、まさにここに雨竜炭鉱があったのだろう。 往路を下山後は、選炭場の遺構を訪れる。 ポケットや 給水塔らしき建造物、 ホッパーが見られる。傷みが激しい。 下部に何かの台座がある興味深いホッパー。 下部が水没した積込線ホッパー。 古い写真を見ると、これらは大きな選炭場の建物に覆われており、 今はコンクリート構造が残っているだけである。 付近の炭鉱街には学校や幼稚園、映画館やパチンコ屋、スキー場などがあったそうだ。 石炭を積み込んだ小型SLが、炭鉱街から南へ走って行く様子を想像しながら湖を後にする。
by tafu-r
| 2014-04-30 20:31
| 天塩山地
|
Trackback
|
Comments(2)
Commented
by
ogino
at 2014-05-06 19:55
x
なるほど、名の無き498m峰にも色々な歴史があるんですね。この山だけでこれだけのボリュームを出せるのは、流石はTakaさんですねー。
何も知らずに登ってましたが、先にこれらの知識を得た上で登っていれば、また印象は違っていたでしょう。 思い出せば確かに道というか、溝みたいな不自然な地形のところを通りました。 この辺りの炭鉱の写真や概要は、ほろしん温泉に飾られていた気がします。 それと昭和炭鉱の随道マーケットって結構有名ですよね。
0
Commented
by
tafu-r at 2014-05-07 19:24
以前から留萌炭田ついて興味があったのですが、この山は盲点でした。
Oginoさんの記録が参考になりました。眺めは良いし、ルートは面白いし良かったです。 登ってみたら道の跡を見て調べ直したりと、結構後付けなんです。 隧道マーケットの写真はよく見ますよね。遺構は是非見てみたいのですが、 立ち入り禁止は残念です。
|
by tafu-r 検索
カテゴリ
タグ
外部リンク
記事ランキング
|
ファン申請 |
||