一峰から二峰を望む。 二峰から本峰を。 やばっ、へっぽこにとっての核心部w。 核心部を振り返る。安堵。 本峰からシートートムシメヌ山。すぐ手前の鋭鋒はパンケカッチヌプリ。 そして紅葉ノ滝。 4月1日は遠別町の三ッ山へ。この低山は遠別川中上流域の奥地にあり、 その名の通り三つのピークを持っている。ピークは北から順に高くなり本峰が 最高点となっている。山頂に設置される三等三角点の点名は「上遠別」。 かつてこの地は上遠別と呼ばれ、後に大成と字名改正された。 なお、地形図の山名表記は「三ッ山」と小さい「ッ」(送り仮名としての捨て仮名) となっているが、検索にかかりやすいよう(笑)記事タイトルは「三ツ山」としています。 以前Oginoさんが厳冬期に登られていて、南側の展望をどこからの眺めでしょうと クイズを出されていた。ちょうどこの山域を考えていた時期ですぐにピンときたが、 真冬の道北のしかも日本海側の山域と長距離運転。天候が悪ければ行くだけで 遭難しそうな場所で、恐れ入ったものだった。 写真は麓の学校遺構付近から見た三ッ山。麓の大成地区や更に奥地の正修地区に あった集落は過疎化で消滅している。 Oginoさんの写真で初めて山容を見たが、麓からは全容が見えないようで、 登ってみなければピークとコルがどうなっているのか分からない。 どうせ登るのなら三つのピークを踏んでみたいと、実は昨年の同じ時期に北側 一つ目のピーク(以下順に一峰、二峰とする)に上がってみたが、現れた二峰に愕然。 写真は昨年の三ッ山二峰。 地形図ではそれほど急な描写になっていないが、雪庇が崩れている部分はかなりの 急斜面に見える。真正面に見ているので斜度がどの位なのか分からない。山容は 一峰と同様に天塩山地によくある形で更に険しい。以前の地形図にあった東面の 土がけ記号は、なぜか消えている。天気は良かったが低温のため雪面は硬く、 おまけに日の当たらない斜面。これはへっぽこには無理と潔く引き返していた。 そして今年は一等点「風烈山」の南から三ッ山を眺め、二峰の北斜面しか見えなかったが 斜度はわりと緩そうに見えた。雪が緩んでいればなんとか登れるのではと再チャレンジ。 追記 写真は風烈山から眺めた三ッ山で、似た形の小鋭鋒が南へ続いている。 この二つの小鋭鋒は鉄砲ノ沢の541m峰と552m峰で、Oginoさんのコメントによると 古地図では山名があったとの事。そして Oginoさんからの問い合わせで あまいものこ さんからOginoさんへ 詳細なご返答があり、それによると北海道実測切図にアイヌ名が見られ、パンケカッチヌプリ・ペンケカッチヌプリ との事だった。また実測切図を元にした北海道仮製版五万分一図は道立図書館にて閲覧可能である事と、三ッ山も含めて アイヌ名の解説も頂いている。 早速、道立図書館へ出向き閲覧。山名は北から順に三ッ山は「アシユシヌプリ」(北海道実測切図では「アシユッシヌプリ」)、 541m峰は「パンケカッチヌプリ」、552m峰は「ペンケカッチヌプリ」と表記されていた。 昨年のGPSトラック。 今回のGPSトラック。 昨年上り下りに利用した支尾根は、細尾根に樹木が密で歩きづらい尾根だったので 今年は北側から上がってみた。写真は昨年の・231 がある支尾根の様子。 風月橋を過ぎた辺りから見る一峰。 遠別川沿いの道道688号名寄遠別線の錦橋を過ぎて最終人家。二つ目の・99 に冬季通行止め ゲートがあり駐車スペースがある。今時期は駐車しても問題無いと思われるが、 この先もずっと除雪されている。雪解けをもって再開される道路工事のために、三月上旬 までは頻繁に除雪作業が入るかもしれない。 遠別川はまだ所々雪氷に覆われている。 道道を少し歩いて、昨年上りに使用した・231 がある支尾根に到着。その手前から取り付く。 少し北側へ森の中を進み、張り出す支尾根から三ッ山北西尾根に上がる。 北西尾根を南へ。 290m で視界が開けて一峰と昨年上り下りに使用した支尾根が見える。 少し左手に進むと、熊が尻滑りをした跡があった。遊び半分の省エネだろうか。 熊はしばらく尾根の下をトラバースしていたが、尾根上に上がってきていた。 足跡は、つい先ほど歩いたのではないかと思われる新しいもの。 先行する熊を追いかける形になり、気分のいいものではない。行く手に熊はいないかと 目を凝らしながら進む。幸い足跡はこの後に尾根を離れていった。 やや複雑な尾根から どんどん標高を上げて行く。雪は昨年より柔らかく登りやすい。 北東側の眺めが素晴らしい。パンケ山から鬼刺山までずらりと。 一峰頂上。向こうに二峰が見えてくる。 頂上から東側。 登ってきた方向の風烈山方面。高々標高490mのピークとは思えない程の高度感がある。 今年の二峰。右手にピッシリ山。斜面の状態やコルがどうなっているのか不安だが、 意を決して降りていく。 コルから二峰を見上げる。雪庇はあるがコルに危険な所は無かった。 二峰への取り付き。結構急で雪はやや硬めだが、キックステップは問題ない。 急なのは取り付きだけで、斜度は緩まる。一峰を振り返る。 二峰直下。思ったほど急ではなく、雪もクラストしていなくてよかった。 登りきって振り返る。一峰と風烈山。利尻山は裾野がうっすら見えていた。 奥の雪庇が突き出た所が・531と思われる。 ・531へ。 ・531を過ぎて本峰が見えてくる。 本峰をじっくりと観察。階段状の雪庇が嫌な感じだが、危険な所は無さそうだ。 下山予定の一番手前の尾根も観察。 本峰への下りとコルはどうなっているのか分からないが、進んでみる。 稜線は細くなり、雪庇に乗らないようやや右手を樹木を縫うように進む。 右手の斜面は結構急で、亀裂が多数入りグライドが起きていた。とてもトラバース する気にはなれない。そしてこの先に垂直に感じるような急斜面があった。 写真が悪くて伝わらないが、高度感があってかなり緊張。手が入ってしまった。 高度差はわずかで雪も柔らかかったので大丈夫だったが、あまり柔らかいと 足元が不安定で、雪庇も崩れそうな感じがしてとても怖い。 コルと本峰。ここまで降りてほっとする。 コルから振り返る。 今までに比べれば、後は稜線漫歩。 本峰直下。ウインドクラスト気味の所もあるが大丈夫。 二峰を振り返る。 山頂へ。 へっぽこが三つのピークを踏めるとは思わなかった。とても嬉しい。 東側の眺めは左手に函岳。正面に小車岳。右手奥に入布山が見えているようだ。 もう一度二峰を。左手に風烈山、中央奥に利尻山の裾野が見えている。 南側の眺め。まったく人間が居住していない広大な地域に、累々とした山並みが素晴らしい。 正面に三ッ山と似た山容の小鋭鋒が続き、奥にシートートムシメヌ山。 小鋭鋒は手前からパンケカッチヌプリ、ペンケカッチヌプリ。 更に右手奥は三等三角点「上江良曾」が設置される598.0m峰。 この鋭鋒の列は三ッ山からピッシリ山北尾根へと続いている。 ピッシリ山。日が当たっているのは熊岳辺り。ピッシリ山から北に延びる尾根が素晴らしい。 ピッシリ山には待てど暮らせど日が射さなかった。更に右手には留萌ポロシリ山が見えていたが、 増毛山地は見えなかった。 北東側は左手に珠文岳と右手にポロヌプリ山を遠望。 ペンケ山と敏音知岳。 イソサンヌプリと知駒岳。 最後に西側の眺め。麓はかつて集落があった大成地区。 やや右手に495.7mピーク。二等三角点「風連越」が設置されていて その向こうに、うっすらと天売島と焼尻島が重なって見えていた。 下山はやや右手に降りていくと、細めの尾根が見えてくる。 隣にはOginoさんが登られたと思われる尾根。 上部を振り返る。 二峰を右手に見ながら降りて行く。 尾根は隣の尾根と収束し、平坦な森の中へ。ここにも古めの熊の足跡があった。 方々から沢が集まり蛇行するが、残雪多く大丈夫。 沢音がひときわ大きくなると、前方に紅葉ノ滝の落口があった。 最後まで蛇行して落ちていく。 一枚岩の渓流瀑といった感じ。 滝の横の急斜面を降りる。 道道近くから振り返って。 後は道道をゲートまで戻るだけ。前方左手に大成小中学校の跡地が見えてくる。 学校の門柱と回旋塔の支柱。かつてのグラウンドは廃材置き場になっているようだ。 校舎の遺構。大成小中学校は昭和57年に廃校となっている。 更に道道を北上して、正面奥に神社があったようだ。 神社の跡地に、 記念碑があった。 昨年登った・231尾根から撮影した道道。手前のコーナ辺りに神社、奥のコーナー辺りに学校があった。 更に奥地の正修地区にも学校があったらしい。かつては道道や遠別川両岸に水田が広がっていたのだろう。 遠別町は世界的に水稲栽培の北限とされていて、開拓の困難や苦労が偲ばれる。
by tafu-r
| 2017-04-02 08:33
| 天塩山地
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Comments(2)
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ogino
at 2017-05-08 21:16
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こんにちは。ブログ更新されてたんですね!三ッ山行かれてたんですね。
遠くまでお疲れ様です。1.2.3峰踏破おめでとうございます。 記事、興味深く拝見しました。長文、面白かったです(笑) 道道はまだ工事してるんですね。この辺りは中止になった道道が2本ありましたが、正修‐母子里はまだ生きてますからね。人の全く住んでいない地域に必要あるんですかね。 ところで、鉄砲の沢の南北に位置する541Pと552Pは、以前896P(阿部志内)から眺めた時に目立つ存在でした。鉄砲の沢経由でヤブから登る計画を以前立ててましたが、今では立ち消え状態です。古い地図には山名があったという話を聞いたことがあります。
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tafu-r at 2017-05-21 23:24
Oginoさん、コメント遅くなり申し訳ございません。登り終えて道北にこんな面白い低山が
あったとは、との思いです。Oginoさんのおかげです。 名寄遠別線の進捗はかなり進んでいますね。万一通年通行になればシートートムシメヌ山が 容易になりますがどうなりましょうか。冬の悪天候時に名寄に急病人を搬送とか役割も ありそうですが、音威子府バイパスの完成も近く、他の道を整備した方が良いんではと思います。 鉄砲ノ沢の小鋭鋒の山名はちょっと調べてみましたが、わかりませんでした。 スタンフォード大学のライブラリーで大正12年測量の古地図を見ると、そもそも三ッ山の山名すら無く、 比較的新しい命名のようですね。
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